島原半島ツーリング2012年08月05日 20時31分

8月4日土曜、朝からいいお天気です。前から計画していた島原半島へツーリングに行ってきました。以前1984年9月1日に50ccのスーパーカブでのツーリング以来です。
島原半島
高速の南関インターを降り下道を走って、大牟田市の長洲港へ来ました。有明フェリーで40分の船旅です。自動二輪は750cc以上は1070円です。
上陸して島原市まで走り、島原城の見学も考えましたがパス、島原まゆやまロードへ向かいます。途中工事のトラックが頻繁に走る中、平成新山展望園地へつきました。正面の山が平成新山です。普賢岳の噴火でできた山です。
平成新山
これが説明板です。現在地がわかりますか。左端の道路を走りました。
火砕流の写真です。黄色の丸の中に民家が見えます。
今はこういう風に落ち着いて、バイクで訪れることができます。福島は?

57号線を走り仁田峠へ向かいます。これは途中の展望台にて。向こうに見えるのが天草列島です。その向こうに海が見えますが、そのまた向こうに熊本県、鹿児島県がうっすら見えます。
展望台から見る平成新山。
説明板による説明。どのくらい盛り上がったかよくわかります。
平成新山の頂上付近です。
しばらく走ると、仁田峠の駐車場に着きます。ロープウェーがあり、頂上まで行くと、平成新山の頂上が目前に見えるのだそうですが、次回へお預け。
カーブの連続を楽しみつつ、雲仙の旅館街の前を抜け、地獄の硫黄のにおいをかぎつつ、下ります。前の車を追うように走りますが、追い越し禁止です。しばらくすると海が見えてきました。橘湾です。小浜へ降り左折、反時計周りに南下します。
途中、こんな漁村や、
こんな段々畑や
こんなオジサンを見つつ
口之津へ着きました。ここからは天草の鬼池へフェリーが出ています。
右の赤い橋のところにある、民族資料館を見学した後、次の原城址へ向かいます。
着く直前に給油、9,3L。ハイオクですが157円高い。10円違います。燃費は20,3km/L。最近は大体20キロを超えるようになりました。
原城址。島原の乱の激戦地です。ここも1984年以来です。
天草四郎時貞の墓碑です。
30分ほどいた後、最後の目的地「みずなし本陣ふかえ」へ向かいます。道の駅ですが、火砕流に埋まった家屋が当時のまま保存されています。
屋外にあるもの、
ドーム内にあるもの、やはり雨にうたれていないので、灰をかぶったままです。
屋根まで埋まっています。
しばらく見学した後、かき氷でも食べようかとお店に入ったのですが、いつも何も食べないで走るし、あまりおなかもすいていないのですが、ちょっとでも食べとかないとと思い、ちゃんぽんを頼みました。壁を見ると「寒ざらし」(島原の名物)があったので、注文しました。300円。水あめで味をつけているのでとても甘く疲れた体にはおいしかったです。餅は歯ごたえがあり、ちょっと硬すぎかなあ。
出てきたちゃんぽん。レンゲが大きい。味はまあそこそこ。量が多かったですが、完食しました。結構入るものです。まあおなかがすいていたということでしょう。700円。
5時半のフェリーに間に合うかなあと走りましたが、結局、着いたと同時に乗船OKで、5時のフェリーに間に合いました。1070円。乗ったらすぐ出発。ラッキー。
遠ざかる島原半島。バイバイ。あれだけの火砕流にやられて、20年もすると見事に復旧しています。福島はどうでしょうか。放射能の怖さをしみじみ感じました。
行きはバイクは1台だけでしたが、帰りは小型が7台ほど。降りるときはバイクが一番です。
高速へ乗り、都市高速で家の近くまで走り、7時過ぎに帰宅しました。今回も転倒もなく、事故もなく、さらに雨もなく、食事はきちんととり、アクエリアス、コーラ、サイダー、ウーロン茶と2Lも飲み、大した疲れもなく帰ってこれました。
あと、口之津の民俗資料館、原城址のことを気が向けば書きます。
さあ、次回はどこに行きましょうかねえ。お盆は渋滞するのでやめといて、そのあとですね。
候補としては、西海橋から西彼杵半島へ(隠れキリシタンの外海町がある)走るのが一つ、天草もいいけど日帰りは無理ですよねえ。
といいつつ、やはり今日はちょっと疲れていたんでしょう。午後昼寝のつもりが3時間も寝てしまいました。さあ夜寝られるでしょうかねえ。
そうそう、一日の走行距離は318,8km。この前より短いです。で、5月26日の納車以来の走行距離は2940キロになりました。
ちょうど70日目ですから、一日42km、一月あたり1300km走っていることになります。
このペースがいつまで続くでしょうか?